ある晴れた朝のこと

先天性の心疾患と内臓奇形をもつ息子のこと

眼科巡りの旅 終着点

以前、眼科巡りをしたことについて書いたけれど、今回はその完結編。気がつけばもう5ヶ月近く経っているのでだいぶ曖昧な記憶だけども。

 

大きなこども病院初診

MRIの結果、緊急性は無いと判断されたけれど未だ現状がはっきりしない息子。11月にフォンタン手術を終え、一息ついた2月末に県で1番大きな子ども病院に行ってきた。

また拘束されるだろうか、病院嫌いにならないといいなとおもいながら、旦那とレンタカーで病院に向かう。

既にコロナの気配が見え隠れしていて、午前中の割と早い時間だったけれど病院の売店のマスクは売り切れていた。

 

8時半に眼科の受付をして、終わったのはお昼すぎだっただろうか(既に曖昧な記憶)。お昼を食べ終わるか終わらないくらいに呼び出しがかかった。

呼び出されてからも待合室で長いこと待ったため、ちょうど昼寝に入ったタイミングで入室。

椅子に座らされ、看護師さんから固定される息子。目を覗き込む先生。怒る息子。「ここね、この血管の…」とそばに居た助手さん?に説明をする先生。

あああここからが長いんだよなあああ拘束辛いなああああと思った瞬間、「はい、良いよ」と解放された。

どこの眼科よりも早かったので拍子抜けしてしまった。もう良いんですか先生。

 

 

「動脈に血栓が詰まった痕があるね。詰まったところから先に血が行かなくなって、目が見えなくなった。前兆として斜視があったかもしれない。」

 

 

後天性だった。思った以上にショックだった。

 

思い当たる節しかない。

あれは前兆だったのか。

内斜視だったあの頃。外斜視に変わったあの頃。いつだろうか。今はもう分からないけど。

以前見てもらった眼科の先生が言っていた、「焼け野原」という表現は正しかったのだ。

 

その後の治療については、

「詰まってしまった先はもう治らない。視力も光を感じる程度です。幸いもう片方の目は正常ですが、数パーセントのお子さんは後天的な事故で視力を失う。伊達眼鏡などを使って守っていきましょう。」

「斜視は見た目の問題もある。本人が希望すればすぐに手術で治せるものだから大丈夫ですよ。」

とのお話しがあった。

視力が悪いのであれば眼鏡で矯正なんていう話も出たのかもしれないが、逆に見えないのでなんの治療もないらしい。半年経過観察だそうだ。

 

斜視の見た目は私も気にしていたので、手術が適用だと聞いて少し安心した(前の眼科では、眠い時だけの斜視は手術しないって言われていた)。失明のリスクが無いから、手術しやすいんだろうか…?

 

因みにメガネはいつ頃から…?と聞いたら、「付けてくれるようになったらですかね…」と苦笑いしていた(´-ι_-`)

親の眼鏡とマスクを鷲掴んで放り投げるのが趣味の息子、自分の眼鏡なんて当分無理だな…(´-ι_-`)

 

 

さて。息子の目について、長らく「疑い」だったものが、検査もせず、あんなに短い時間ですっきりと結論づいてしまった。すごい。

 

電話予約がさっぱり取れないだけのことはある………(逆に初診の予約取れたの奇跡だったな…)

 

ショックがないと言えば嘘です。

片目が見えない。もう取り返しはつかない。そう言われてショックでした。

でも、片目が見えなくても小さい時に見えなくなると生活に支障は意外と無いこと。免許も取れること。

色々な説明をしてもらって、少し安心もしました。

きなこさんのブログにも力をもらいました。ほんとにありがとうございます。

 

息子が元気に生きている今を大切にしないと、という気持ちで生活しています。

 

その日は記念日でもある

なんだか急展開だったが、しみじみする間もなくその日は午後から保育園の面談と健康診断があったので、とにかくバタついていたことはよく覚えている。

あと息子が歩いた記念すべき日だ。

 

保育園で面談中、元気にずり這い&伝い歩きをしている息子を見て、園長先生から「1歳児クラスはまだ力加減が出来ず、周りも見えていないため、ずり這いだと危ないかもしれない。歩けるようになるまで0歳児クラスに通うことになるかもしれません。」とお話があった。

「そうですよねえ、踏まれちゃってもあれですし。よろしくお願いします。」と言って帰ったその日の夜。

 

 

歩いた。

「もう1ちゃいなんでしゅけど!」と言わんばかりに歩いた。

きみほんとに負けず嫌いだよね。知ってたけど。

 

4ヶ月検診で「まだぐにゃぐにゃだねー」って言われた次の日に、首が引き起こしで付いてくるようになったこともある。ほんとそういうところあるよね。

 

結局4月から緊急事態宣言、5月末に引越しとなり、この保育園に通うことは出来なかったのでとても残念に思っている。とても良い保育園だったと思う。通ったことないから分からないけれど。

 

その後の話

今は引越し先で保育園と新しい仕事を探しています。あともうすぐ訪看さんと契約をします。

 

息子は医ケアがないので訪看さんを使うことを躊躇していた(お医者さんから言われたこともないし…)けれど、Twitterで医ケアなくても使えますよ!親の精神的にも良いです!と言っていただいたこともあり、6月くらいからステーションを探していたのだけれど、なんだか良さそうなところにたどり着いた。

良い方が来ると良いな。

 

療育もリハも対象外な息子。支援センターも完全予約制で、「あ、今日遊びに行こー」とは出来ないご時世で、なかなか刺激のない日々を送っているけれど、少しずつ繋がりを広げて、うまいこと刺激のある生活を作ってあげたいと思う。

親もがんばります。

 

それではまたどこかで。

息子が受けた手術をまとめる

 

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息子です。Twitterで知り合ったお友達に描いてもらった大切なイラストです。ふふふ。

息子が乗り越えてきた手術についてまとめていこうと思います。

 

 

 

息子の心臓について

 

何度か書いているけれど、息子は

*内臓錯位(内臓が左右対称の形をしている)

*右胸心(心臓が右にある)

*機能的単心室心室は2つ存在してるけど、1つは痕跡的で働いてない)

*単心房

*完全型の房室中隔欠損(心房中隔と心室中隔がクロスしているところが生まれつき存在しない)→大きな心室と心房が1つずつあるような形をしている

*共通房室弁(三尖弁と僧帽弁の片方ずつが弁になっている)

などの奇形を持っている。

 

そしてややこしいことに、息子の心室は右心室で、心房は左心房だ。

せめて心室と心房の左右が逆だったらと何度も思ったけれど、それは仕方がない。

 

 

息子は1歳2ヶ月までの間に、肺動脈の形成術、グレン手術とフォンタン手術の3つの手術を受けた。

(正確には術後感染で緊急手術を受けたので4つだけども)

それぞれの手術についてまとめていこうと思う。

 

 

心室の子は何故手術を受けるのか?

 

本来、人間の心臓は、左心室から送り出した綺麗な血液が全身を巡り、全身の細胞に酸素を届ける。

そして、役目を終えた汚い血は右心房に入り、右心室から肺に送り出し、肺でまた綺麗な血に浄化し、左心房を経由してまた左心室に戻ってくる。

Twitterで分かりやすい図をあげてくださったココハレさん(@cocorogahareru)のGIFをお借りしました。)

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(細胞で行われている内呼吸。酸素をもらって、使った二酸化炭素を返している。この赤い血が綺麗な血、紫色の血が汚い血)

 

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(肺の中では、全身を巡って帰ってきた汚い血から二酸化炭素を受け取り、また酸素を送り出す。そしてまた全身を巡る)

 

心室(綺麗な血)→全身→右心房(汚い血)→右心室(汚い血)→肺(浄化)→左心房(綺麗な血)→左心室 という流れだ。

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(北海道心臓協会さんのフリー素材お借りしました)

 

しかし、単心室というのは、その名の通り心室が1つしかない。息子は単心房だから心房も1つしかない。

つまり、心臓の中では常に綺麗な血と汚い血が入り交じっていることになる。

 

 

汚い血は、酸素を各細胞に渡して二酸化炭素を受け取るという役割を終えた血であり、体を巡っても特に何か仕事をしてくれるわけではない。

綺麗な血だけがせっせと酸素を運び続けるけれど、汚い血が混ざっているとどうしても酸素が足りなくなってしまう。

息子も、生まれてからずっと、すぐに息が切れたり、末端に血が行き渡らず爪が変形したり脆かったり髪の毛が伸びなかったりと、常に「酸素が足りない」感があった。

 

サチュレーション(動脈の赤血球中のヘモグロビンが酸素と結合している割合=全体を100としたうちの、綺麗な血の割合?)も、普通の人が96-99%程度なのに対して、息子は80%程度だった。

(因みに生後4日目、心雑音が産院で発見された段階では95程度だった。大きな病院に救急搬送されてから、95では心臓が頑張りすぎているから、薬で調整して80程度に落としますと言われた。高ければ良いってものでもない。バランス。)

 

このままでは身体の成長や、発達にも影響を与える上、姑息術(1回目の手術)のみの30年生存率は16%(2004年)。

 

それをどうにかするために開発されたのが、グレン手術とフォンタン手術だ。

心臓の中の綺麗な血と汚い血を分離して、綺麗な血を体の隅々まで行き渡らせたい。

簡単に言うと、血管をつなぎ変えて、汚い血は心臓を介さず直接肺に送ってしまおうという手術だ。

心室(綺麗な血)→全身(汚い血)→肺(浄化)→心房(綺麗な血)→心室(綺麗な血)

という流れになる。

この手術は2回に分かれていて、グレン手術で上半身の血を、フォンタン手術で下半身の血を、肺に送るようにするのが一般的だ。

まとめて繋ぎ変えると心臓の負荷が大きいため、身体の成長を待って段階的に行っていくのだとか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcs/33/1/33_1_93/_pdf

 

この手術によって、30年生存率は80%(2017年)まで改善した。

ただし、術後30年の間に死亡を含む重症合併症は90%発生している。主治医からも、『他の器官に負担をかけて心臓を楽にする手術』『良いことばかりの手術ではない』と何度も念を押されている。

 

 

息子の血管について

息子も例に漏れず、これらの手術を受けることになった。

ただし、息子は心臓周りの血管も個性的だったため、これがかなり手術の内容に影響を与えた。

 

まず肺動脈が閉鎖している。生まれて4日間、健常な赤ちゃんとして扱われていた息子だが、実際は動脈管が閉じたら死ぬというかなりの瀬戸際にいた。

しかも動脈管って、改めて画像で見るとかなり細い。息子の命を繋いでくれた動脈管よ、ありがとう。

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(看護rooさんのフリー素材お借りしました!胎児の血液循環。)

 

誕生後動脈管は自然に閉鎖する。

そのため、大きな病院に入院したあとは、動脈管が閉じないようにする薬を点滴で繋いだ。

ただ、これは長期間使っていると効かなくなってしまう薬。一方で、手術は出来るだけ身体が大きくなってから行いたい。

そのため、主治医がこまめに様子を見、検査を行って、必要な時だけ点滴をする形で日々は過ぎていった。

 

 

BTシャント術

1回目の手術は生後1ヶ月、このいつ閉じるか分からない動脈管、そして閉鎖している肺動脈の代わりに4mmの人工血管を入れた。

人工血管の太さは血管の様子、これからの成長見込み(小さい体に大きすぎる血管を入れてしまうと、肺に流れる血の量が多すぎて負担になる)などを踏まえて当日、開胸してから決めるとの説明を受けた。

また、息子は片側の肺動脈が括れていて、左右で血の流れる量が偏っていたため、くびれている所を切除して、繋ぎ合わせるということもした。

 

そして術後8日後に抜管、11日後にICUを抜け、18日後に退院。初めてのお外、初めてのおうち(と言っても実家😇)を経験した。初めて病院の外に出る瞬間は家族に頼んで動画を撮った。

看護師さんたちも喜んでくれて、嬉しかったな。

 

 

上大静脈肺動脈吻合術(TCPS/川島手術)(グレン手術)

2回目の手術は、生後6ヶ月の時。

1ヶ月の時に入れた人工血管が身体の成長に対して段々小さくなってきて、サチュレーションは70台まで下がり、生後4ヶ月からは酸素もつけていた。

流量2Lでも85を割り込むようになった頃、そろそろ限界だからと手術が決まった。

 

グレン手術は先述した通り、上半身の血液を心臓ではなく、肺に流れこむようにするものだ。

具体的には、頭や腕など上半身の各臓器を通ってきた汚い血を心臓に送る役目を持つ血管=上大静脈を、肺に流れ込む動脈(肺動脈)と繋げてしまう。

そして、続くフォンタン手術で下大静脈を繋げる。

下大静脈は、肝臓、腎臓、腸など下半身の臓器や脚を繋ぐ大きな血管で、下半身の各臓器を通ってきた汚い血をまとめて心臓に送る役目を果たしている血管だ。

 

以上の流れが一般的だが、息子には実は下大静脈がない(下大静脈欠損)。

そのため、「グレン手術」という名前にはなっているが、息子の場合正確にはTCPS(total cavopulmonary shunt)という手術名になる。川島法(Kawashima procedure)とも言われていて、実は英語版wikiには載ってる。

 

(さっき調べたら、2020年に日本語版wikiが出来てました!/2021.09.11追記)

 

説明担当の心臓外科の先生から、ググってみてくださいと言われたけれど、日本語の資料は1980年代のものが多く、CiNiiも見たけれどあまり見つからなかった。

 

脱線してしまった。

 

とはいえ、実は下大静脈が無いこと自体は、意外と大したことではないらしい。背中近くにある【奇静脈】というサブの血管がもともとあるので、それを代わりに使っている。

 

 

問題はこの奇静脈。

実はこの奇静脈、上大静脈と繋がっている。

つまり、上大静脈を肺と繋げると、上半身だけでなく下半身の血もまとめてドバッと来てしまう。

通常のグレン手術(6割)→フォンタン手術(10割)のところ、息子のグレン手術(8割)→フォンタン手術(10割)という具合。

 

※奇静脈は下半身の臓器と繋がっているが、肝臓と小腸を通る肝静脈とは繋がっていない。肝静脈には体内の1/4の血液が流れているため、グレンで10割が流れ込む訳では無い。

 

先述した通り、突然大きく血液の流れが変わるため、普通のグレン手術よりも心臓や血管への負担が大きく、リスクも高く、浮腫みやすくなるとの説明を受けた。

ただ、この変化に耐えきることが出来ればフォンタンへの移行はスムーズだとも。逆に、肝臓の血が流れ込まないことによる悪影響の方が大きいため、フォンタンをしないという選択肢が無くなるとの説明も受けた。

 

ヒヤヒヤしながら手術の日を迎えたけれど、結果、とても順調に息子は循環に順応し、6日間でICUを抜け、一般病棟に戻ってから8日ほどで退院となった。

酸素無しでサチュレーションは90まで上がり、酸素も離脱。

ただ、挿管の際に傷をつけたらしく、数ヶ月声が出にくくなった。

 

 

 

フォンタン手術(TCPC)

最後の手術は1歳2ヶ月。

11ヶ月の時に行ったカテーテル検査の結果、既に肺動静脈ろう(肺に出来る余計な血管。肺胞を飛び越える形で血管同士を繋いでしまうため、汚い血が体をぐるぐる回ってしまう。)がたくさん出来てしまっているため、なるべく早くやりましょうという話を受けた。

肝臓の血が流れないことによるデメリットとは正にこれで、まだメカニズムは解明されていないものの、肝臓の血が合流しないと肺動静脈ろうが出来やすくなる。そして、合流させると自然と消えていくのだそうな。人体摩訶不思議。

 

が、緊急手術や主治医の出張などが重なり、結局1歳2ヶ月まで伸びた。

 

 

削られるメンタル……。

 

さて。本来は下大静脈と肺静脈を繋げる手術になるが、息子に残っているのは肝静脈だけ。

つまり、肝静脈と肺静脈を繋げる手術になる。

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このいらすとやさんの画像を見てもらえると分かりやすいけれど、肝臓は心臓のすぐ下にあって、肝静脈の血管自体も短い。(いらすとやさんこんなのも描いてるの…すごい…)

 

長い人工血管を使って肺まで血管を伸ばすのもリスキーだということで、いくつかの案が提示された。

 

①心外導管

心臓の外に人工血管を入れて肺まで繋ぐ案。フォンタン手術で1番メジャーな方法だと聞いている。

しかし、心臓と肝静脈が近すぎること、右胸心の息子の血管が複雑すぎて人工血管を上手く繋げる見通しが立たないことから、早々に却下された。

 

②心内導管

心臓の中に人工血管を通して、肺まで繋ぐ案。

最短距離を通せることがメリット。

心臓を開くのでリスクは大きいこと、また、心臓を触るため不整脈が起こりやすいことがデメリット。

息子のような多脾症候群の子は、体の左側をベースに内臓が作られているため、右側にある機能が働かないことが多々ある。

ペースメーカーの役割をする洞房結節は右側にあるため、機能していない可能性が高く、今は平気でも、後々徐脈のリスクが高いとのこと。

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(こちらも看護Roo!さんのフリー素材。電気信号がこんなふうに伝わって、規則正しい動きをしてるよ!っていうイラスト。)

 

逆になぜ今は大丈夫なのかと言うと、洞房結節ほどじゃないけどペースメーカーの役割を果たす部分(予備)がいくつかあるため、それが働いているんじゃないかと。でもやっぱり機能としては弱いので、心臓を触ったり、刺激を与えることで破綻する可能性はある。

以上のことから、不整脈のリスクを検討する必要がある。

 

③肝静脈と奇静脈を繋ぐ

イレギュラーな存在同士を人工血管で繋いでしまう案。

奇静脈は背骨に近いところにある血管で、肝静脈は心臓のすぐ下にある血管。

扱いにくい血管同士を繋ぐことになる上、ほとんど前例が無い(血管同士が近くにあって繋いだケースが多く、人工血管を使って遠い血管同士を繋ぐ息子のようなケースは更に無い)ため、予後が分からないというところもある。

ただ、心臓を触らないというのは大きなメリット。

症例としてはこちらだけど、人工血管は使ってなさそう。

〇下大静脈欠損を伴う左側相同に対して肝静脈-半奇静脈吻合でTotal cavopulmonary connectionを確立した一例(2015)

 

(こちらも近いですね。/2021.09.11追記)

〇両側肺動静脈瘻および左肺静脈狭窄を合併した
多脾症候群に対する完全右心バ イパス手術の1例 -半 奇静脈前方転位および半奇静脈-肝静脈直接吻合-(2007)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcvs1975/36/2/36_2_100/_pdf/-char/ja

 

 

②か③かは当日開いてみて決めますと言われて、当日を迎えた。

そして、手術開始から8時間経った17時、主治医からの報告で③になったとの報告を受けた。

②の心内導管は血流の制御が難しく、左右の肺に均等に行き渡らないと判断されたとのことだった。

 

(先生方から、何度も「両側均等に」という話をされていたのだが、これは肝静脈の血流が左右均等でないと、TCPCの後でも、流れる量が少ない側に肺動静脈ろうが出来てしまうという症例があったからなんだろう。再手術までした前例があったのを、術後2年弱経って初めて知った。

先生方も手探りで治療を模索しているんだろうなと感じる。息子の治療も、いつか未来の子どもを救う助けになると良いなと思う。/2021.09.11追記)

 

主治医からは今までの手術と比べると、内臓がかなり浮腫むので回復に時間がかかると言われていた。

そしてその通り、術後の経過はあまり良くなくて、1週間ずっと熱があり、嘔吐が続き、食欲もなく、鎮静を入れても寝られず、一日中泣き通していた。

呼吸器は抜けたけれど、その後も痰が増え続け、何だかおかしいと思っていたら、創部感染で緊急手術になってしまった。

その日のことはこのブログに書いていた。

 

緊急手術後の後の回復は目覚ましかったけれど、お腹はパンパンで嘔吐が多く、食欲もなかなか元に戻らなかった。

首もふにゃふにゃで座ることも出来ず、こんなので大丈夫なんだろうか…と不安になりながらも、ルートは次々と外れ、緊急手術後5日間でICUを抜けていた。

しかし一般病棟に戻って、看護師さんにちやほやしてもらったら早々にバンボに座ってごはんを食べ始めた…。メンタルね……大事だよね…………←

 

とはいえ、骨まで感染していたため、菌を完全に殺せるよう点滴を毎日入れることになった。60日間入れると言われたが、調子が良いため点滴を始めて30日のクリスマスで退院することが出来た。

肺にも負担をかける手術だったこともあり、サチュレーションは95前後だったけれど酸素お持ち帰りになった。

 

術後3ヶ月、担当医が循環器に移ったところで酸素は終了となった。

サチュレーションは術後4ヶ月頃まで97をキープしていたが、術後6ヶ月になる頃95に下がった。主治医からは、「97は高すぎたくらい。フォンタン後は95前後で落ち着くことが多いから、ちょうど良いよ」と言われた。

息子の心臓は頑張ってしまいがちらしい。

どうか無理せず長く生きて欲しい。

 

こうして息子の手術はひと段落を迎えた。

 

 

その他の治療

1回目の手術から3ヶ月、2回目の手術から5ヶ月の時にそれぞれカテーテル検査を行い、前の手術の確認、次の手術のための身体の確認、側副血管にコイルを詰める治療をしている。

次はフォンタン後1年。末永く機能してくれますように。

 

 

こうやって見ると、なんとも複雑な身体だなと改めて思う…。

そして本当にたくさんのことを乗り越えて来てくれたね…よく頑張ったよ…。

 

 

余談だけれども

 

私はいつもお世話になっている病棟が好きだ。

今まで小児科、保健所、役所、支援センター他色んな人にあって息子の病気の説明をしたけれど、「なんだかよく分からないけどたいへんな病気」という感じの雰囲気になり、「大変ですね…」と一線引かれるのが常。(なんなら息子を産んだ産婦人科でもそんな感じ…笑)

生まれた頃から息子のことを知っていて、病気のことも私以上に理解してくれている病棟は、実家のように感じている。

息子も何だかんだ、看護師さんが来てくれるとにこにこしているし、大好きな看護師さんには、一生懸命考えて自分の出来る芸を次々に披露していた。かわいい。(ただし男性看護師には塩)

 

術前、検査前、気を張りつめて体調を整え、病棟に入った時のほっとした気持ち。手術に送り出した時、私の涙にもらい泣きした看護師さんの涙。大変な時期を過ぎて一般病棟に帰ってきたときの気持ち。停滞のもやもやした気持ち。ひとりカーテンの中でめそめそしたあの時の気持ち。色んな気持ちが詰まった病棟。

実家から少し遠くに住むことになってしまったため、これからは数年に1回しか行くことは無い、、はず…。(実家で体調崩したら行くかもしれない…←)

卒業した今、少し寂しい。看護師さんたちと、病棟保育士さんには感謝が尽きない。

 

そして、これから産まれてくるみんな、グレン、フォンタン手術に挑む勇者のみんなが無事に手術を終え、大きくなれますように。

願いを込めて。

「グレーゾーン」という悩み

息子は機能的単心室症。

少しだけ左心室はあるがほとんど無い。

最初の診断の時は、単心房しか書かれていなかったので、もしかして心室は2つあるかも、2心室修復が出来るのかも、と思ったけれど、1回目の手術前に「ありますけど痕跡的です、2心室修復はありません」とバッサリ言われてしまった。

 

そして左心室がほとんど無いということはつまり、息子の持っている心室は右心室だ。

心室は全身に血をめぐらせるために力が強いけれど、右心室は肺にだけ血を送る役割だから、左心室に比べてかなり力が弱い。

もともとの役割ではないのに全身に血を送ってくれるのだから、人間の適応力は凄いなといつも思う。

 

血管が閉鎖していたり、そもそも無かったり、違っていたり、内臓の形が違っていたり、あれこれ合わせて息子は重症と呼ばれる心疾患児だ。

 

息子は、生まれて4日後、退院前日の診察で心雑音が分かったけれど、その日救急搬送されて分かったのは、肺動脈は生まれつき閉鎖していて、動脈管が閉じたら死ぬということだった。退院してたら死んでた。

あの時はいっぱいいっぱいで気づかなくて、むしろ「一緒に退院したかったのに」って思ってた私を助走つけて殴りたい。見つけてくれた先生ありがとう。

 

その割には身体が大きい。心臓以外の合併症も今のところない。ついにICUの先生にまで「体大きいね、大きな手術3つもしたようには見えないね」と言われた。

これは肌の色の問題らしいけれど、顔色も悪くなりにくいから、サチュレーションの低下にも気づきにくい。

グレン前、サチュレーションが75を切っていても「顔色いいね」と病棟の看護師さんと主治医と麻酔医と手術担当の看護師さんとICUの看護師さんが口を揃えて言うのだから、そうなんだろうと思う。

私も、息子の「顔色が悪い」状態が分からない。それはそれで不安だけど。

 

大学病院の外来でも、不整脈も無く逆流も少なく、「良い心臓だね」と褒められたし、基本的には「良い方」なんだろう。

発達については、今のところグレーゾーンの範囲で、保育園で1つ下のクラスに入れてくださいとお願いする程ではない。検診では引っかかるけど、再度来てくださいという流れにはならない。

これは多分病気があって、病院にかかっているからだと思うけど。

 

この年でフォンタンが出来るなんて、医ケアが近いうちになくなるなんて、酸素が外せるなんて、薬飲むだけで良いなんて、口からご飯を食べられるなんて、運動制限がないなんて、合併症が今のところ出ていないなんて。

 

めぐまれているね。

 

よかったね。

 

病気には見えないよ。

 

普通の子に見えるよ。

 

よく言ってもらえる。

有難いこと、喜ぶべきことなんだろうなと思いながらも、複雑な気持ちになる。

 

 

健常に見えても、保育園の申し込みをすれば、「医師の意見書が必要。でも障害枠には入るか入らないか微妙。障害枠になったらあとは園と話してもらって、園の受け入れ次第。」。

ファミサポの加入申請をしようとすれば、「入れないことは無いけど、相手は素人さんだし、相手の方に病気の説明をして、それを受け入れて貰えないとマッチングには進めない。相手の方次第。」。

出来るか出来ないかはその時になってみないと分からない。申し込みをしても確実はない。相手次第。

どこまでも行き当たりばったりで、不安は尽きない。

 

でも、制度の狭間と言うほどでも無い分、息子は恵まれているなと思う。手帳ももらっているし、小児慢性も適応、保育園の申し込みも出来る。

運がよかったということは間違いない。

 

 

今、何に困っているもいうわけでもなく、とどのつまり、息子が医ケア児という枠にも、知的障害児という枠にも、健常児という枠にも入ることが出来ない、グレーゾーンにいるという感覚があって戸惑っているなと感じる。

もちろん枠はそれだけではないし、難病や心疾患児など、名前をつけようと思えばどうとでもつけられるのだけど、何故か、いつまでも燻っている。

 

グレーゾーンの難しさを知っているから、というのもある。

 

 

息子が産まれる前、私は臨床心理士として育児相談や発達の相談を受けていた。発達検査もしていたから、発達障害と診断されたお母さんや、診断はされないが傾向はある発達グレーゾーンのお子さんを持つお母さんともよく話した。

その中で、グレーゾーンのお子さんを持つお母さんと、助け舟の少なさについて話したことがある。

「障害の域に入らない=困っていない、ではない。でも、困っていると言うと『そんなに障害児にしたいのか』と先生や保育士、周りの人に言われる。助けを求められない。家庭では困っていることが確かにあるのに。」

「知的グレーの子は療育は使えない。籍を置いている園や学校で何とかするしかない。これからの成長が担任や担当の先生の対応次第になってしまうことに怖さがある。」

「相談機関に相談しても、『それが出来るなら良い方』『もっと大変な子がいる』『お母さんが受け入れてあげて。出来ることを見てあげて』で終わってしまう。」

「どこを頼れば良いのか分からない」

 

今、お母さんたちの言葉を思い出して、ああそうだな、と思っている。

どこに行っても、なにか相談をしても「まあまあ良い方」という評価を受け、「様子見で良いでしょう」という言葉をもらう。

困った時相談しても、「そこまで大変じゃない」という評価になり、「本当に大変な人はこれができないから、出来てるなら良い方」という言葉で終わる。

 

例えば。

手術入院中に斜頸を形成外科の先生に診てもらった。

息子の首を触りながら、「本当に酷い子はもっと角度はきつい」「ここから動かせない子もいる」「とりあえず首は回せるんだね」「困ってることは?ご飯の時に汁が垂れてくる?はあ…そう。」「長さ、一応測らせてね」「まあ、また見にくるね」と言ったきり、2週間以上なんの連絡もないまま退院を迎えた。

まあ、今まで心臓、目、と受診してきて、「最後で良い」と言われた斜頸だから、重症だとは思っていなかったけど、それでも首の張りがほぐれれば良いなと思っていたし、ぼーっとしている時の角度はそれなりにあると思うし、食事のときに端から汁がだらだら垂れてくるのを改善出来ないかと悩んでいた。

首が真っ直ぐにならずに悩んでいる子どもたちを日々見ている先生方にとっては軽微な悩みなんだろうと思う。診断を改めて下すほどのことではないのかもしれない。

でも悩みを「無かったこと」にされるのはしんどいな、と思った。

 

 

例えば。

4ヶ月検診のときも、まだ首の座らない息子に対して「病院に定期的に通っているんですよね」「様子見で」と言ってもらったけれど、病院では「リハに入る程でも無いんじゃないかな」と言われ、訪問看護やリハの話はされたこともないし、息子の発達は特に何もフォローがない。

療育に通えるかというとそれも難しいという。

つい最近、手を繋いで歩けるようになったから少し安心したけれど、初めてつかまり立ちをし、ずり這いをした9ヶ月から7ヶ月、運動発達は横ばいだった。

 

 

 

こういう悩みをつらつらと書いていると、どこからか「贅沢な悩みだね」と聞こえてくる。

だれが言う訳でもない、私の心の声だ。

私に対しての言い訳をここから書いていく。

もっと重度の子がいるのはもちろん知っている。この間のツイオフで、色んな方のツイートを見て、さらにそう思った。

 

でも私はこういう事で悩んでいる、と発信したい。

 

なぜそう思うかと言うと、もう一年半も前のツイートを久しぶりに見返したからだ。

幡野広志さんという写真家さんのツイート。

幡野さんは血液のがんを持っている方。

本質を抉るような言葉が私には印象的で、胸にグッと来ることもあれば、読み進めるのが辛いこともある。命と向き合っている方だなあと感じることが多い。

また、幡野さんの言葉はしばらく経ってから読み返すと、全く違う印象を持つこともあって、不思議だなと思う。

 

何を読み返したかというと、幡野さんのきょうだい児の方とのやりとりだ。

これを読んだのはまだ息子が生まれる前で、息子の病気もまだ何もわかっていなかった。

当時は冷たい言い回しをするんだなあというイメージが強かったけれど、今読み返すと、そうだなあと思う部分が増えていた。

 

16歳のきょうだい児の方が、障害児の弟がいて、彼のせいで結婚できないという内容の質問箱に、幡野さんが回答したことから始まり、たくさんのきょうだい児が発信したやりとりだった。

だんだん、強い言葉が増えていき、当時TLを追うのがしんどくなったのを覚えている。

その中で、きょうだい児は発信が難しい、きょうだいに障害者がいると言っただけで差別を受けた、という方に対して、「多くの人は障がい者を家族に抱えていません、発信がなければ理解できるわけないんです」と答えていた幡野さん。

 

「変えたい、知って欲しいと思うなら行動を。」

 

この言葉が私の中ではずっと残っていた。

(最近やり方の大切さも身に染みて感じているけども)

(きょうだい児については、息子が生まれてからずっと考えているけれど結論が見えないまま。親の責任とは。罪とは。ぐるぐる。でも、最近話題の仲良し家族の皆さんを見て、決して不可能なことじゃないのかな、と勇気をいただいている。)

 

心臓病児への支援は、親の会の皆さんや当事者、関係者の皆さんが切り開いてきたもの。患者の人数が多いからこそ報われている部分も多いと思う。

以下は小児慢性に心臓病も含まれるようになったという記事。2015年まで含まれていなかったという事実にも驚いたけれど、これにもたくさんの人が動いたのだと思う。

 

http://www.heart-mamoru.jp/__uploads/documents/14346036158111434603611.pdf

(心臓病の子どもを守る会事務局通信 2015年5月号)

 

少数であっても、こんな悩みが「存在している」という事実を文章にすること。まずはそれを書くことが大切なのかなあと思って。

なんの力もないし、立派な人間でもないし、これから社会に何かを訴えるわけではないけれど、グレーゾーンの悩み、病気を持っているけど発達の遅れが少ない子どもがいる親の悩み。

抱えているのは多分私だけじゃないと思っている。

ツイオフで「うちの子は軽度だからなあ」「医ケアがないからなあ」とおっしゃっていた方の中には、もしかして私と同じもやもやを抱えているのではないかなと。

誰かに届けば良いなと思っている。

 

 

逆に、誰かを傷つけるかもしれないという不安も持っている。

もしこの先息子が、突然不整脈を起こしたり、急変したりしたら、私はきっとこのブログを見て泣くと思う。

凄く葛藤を持ってこの文章を書いている。

書いてよかったのか。表に出すのは正解なのか。発信しないでこのまま下書きに置いておく方が良いんじゃないか。

どうしてこんなに葛藤があるのかも分からない。

結局、どうして燻っているのかも。

多分私の中になにか呪いがあるんだと思う。

 

でも保育園の入園も決まって、これからどんどん気持ちも変化していくだろうから、今の気持ちをメモ代わりに残しておく。

 

「良い方」だからって悩んじゃいけないわけじゃない

それは分かっている。

でも、誰に言われたわけではないのに、「こんなことで悩んでるって言いにくいな」って思うことはよくある。

でも、私はTwitterで日常的に吐き出して♡をもらったり、ツイオフで色んな人にリプもらったりして、「私はここにいて良いんだな」という気持ちを積み重ねることで、「でもまあ、みんなそれぞれ悩んでいるしな。自分もこんなことで悩んでたっていいよな。」という気持ちも持てるようになってきた。

悩むにしても、「受け止めてくれる人」の存在が必要なんて、私はめんどくさい生き物だなあと思うと同時に、ひとりじゃないんだなとも感じる。

いつもありがとうございます。

良い話風に終わります。

 

幡野さんの過去ツイートに触れていますが、今回の延命など各家庭によって色々ある事情を一緒くたにして強い言葉で発信されたことにはショックを受けました。幡野さんの全ての言葉を肯定する意思はないです。念のため。

繋がりのこと

明けましておめでとうございます。おかげさまで、クリスマスに無事退院しました!あたたかいお言葉たくさんありがとうございました!

ブログはずいぶん間が開いてしまいました。今日はオフ会と病児ツイオフのことです。

 

 

 

12月、付添入院の合間に、かややさんが企画してくれた病児オフ親だけ会と、りいさんが企画してくれたツイオフに参加した。

 

オフ会自体は初めてではないけど、子どもがいない会は初めて。

子どもがいる時とは会話の厚みが全く違って、つい三次会までしてしまった。18時開始で23時半頃まで話した。久々に大学生みたいな時間の使い方をした気がする。

子どもが入院していると、もっと人と話したい、みたいな渇望はどうしてもあるよね。孤独なんだ、子供が入院してると。付き添いだろうが通いだろうが。

そんな訳でとても楽しかった。

久々に声帯を酷使したため、声がガラガラになった笑

 

一次会は病気のこと、そこから来る悩み事(ごはん食べないよとか、手術悩んでるんだよねとか、テープ何使ってるとか)が中心で、二次会は病気いつ分かった?とか、手術怖いんだとか、親の気持ちの話が中心に来た。三次会はもはや雑談で、うちの子可愛いでしょうみたいな話が多かったように思う。

最初は「今しか出来ない話題を今のうちに話しとこう」という感じだけど、だんだん雰囲気が緩くなって、気持ちもほぐれていった印象があった。

子供がいるとどうしても、2-3時間でお開きになるし、なかなか子供の前で口に出したくないこともある。そもそも、テーブルの上のものをひっくり返したり、よじ登ったりメニュー表を初め片っ端からそこにあるものを食べたりするため(大体うちの子)常にあわあわしている。

親同士だとこんなにたくさん会話が出来るのかと新鮮でとても楽しかった。あとお酒が美味しかった。

 

 

ツイオフは、息子の生まれ月のツイオフに何回か参加したことがあったので雰囲気は何となく分かっていたものの、初めての難病児ツイオフだったので、どんな話題が出るのかわくわくしていた。

私も、残り1週間の付添入院生活をより良きものにするため付添メシの質問をしたかったし、ツイオフってなに?っていう方も多かったので、私がスレ立てして、なんでも話したり聞いたりして良いんだよ!っていうきっかけになれば良いなあなんて思ったりもしていた。(恥ずかしい)

皆様本当にありがとうございました。次の付き添い入院は万全の態勢で行けそうです。

 

 

今までお話したことの無いお母さんやお父さんと繋がることができたり、参考になる質問と回答がたくさんあったりと、Twitterの広さと深さを改めて感じた三日間だったなと。りいさんほんとにおつかれさま、ありがとう。

次は私も手伝わせてね。

 

 

Twitter上で相互さんとのんびり呟いたり、お話したり、それだけだった繋がりが広がりつつある。

オフ会だけじゃなく、同じ病院だって分かれば、ご飯食べたり、お茶したり、病棟でお話したりすることもある。

孤独だった1年前から、こんなに世界は広がった。

もちろん、怖い人だっているだろうから、広げるにも限度はあるけど、気を遣わせずに誰かと笑って子どもの話をできるって幸せだなって思う。

 

困ってることはある。この先への不安もある。

でも、そこを通り越して、「うちの子可愛いんだよね」という、当たり前のところに話が着地できる。

そんな、病気を持っていなかったら当たり前にしていたであろう「普通」のやり取りが、私は嬉しいなと感じる。

 

新年会も楽しみ。ふふふふふ。

今年もどうぞ宜しくお願い致します!

フォンタン術後の縦隔洞炎と骨髄炎

先週の月曜、フォンタン手術、息子の場合は肝静脈と奇静脈の吻合手術が終わった。

手術説明の時に「あまり例がない」と言われた術式だ。直接吻合には距離が遠く、人工血管を使うことになったが、それは更に例が少ないのだと。

年間250例近くの心臓手術をしている、心臓に強いと言われる病院で「例が少ない」と言われるなんてなかなか無い経験をしていると思う。

 

術後の経過については、今までで1番内臓に負荷が掛かる分、時間がかかると言われていた。

肝臓、腸、腎臓が浮腫み、機能を取り戻すまでに長くかかると思うと。

 

実際、術後の経過は今までで1番良くなかった。

熱は36度から38度を行ったり来たりして、術後2日目に抜管したのに、術後4日目あたりから痰が増えてきていた。

活気もなくて、全体的にぼーっとしているし、怒って歯ぎしりしているし、笑顔もない。

常にお腹が張っている。ごはんもハイハインとヨーグルト以外口を閉じて断固拒否するし、ミルクすら飲みたがらない。

月曜日に手術したあと、抜管してから週末までほとんど熟睡できず、逆に土曜日はほとんどの面会時間を寝て過ごした。

 

そんな状態でも、少しずつドレーンも抜けたし、点滴も抜け、導尿も抜け、土曜日には点滴の入っていない手足は抑制が取れていたので、回復してるんだと喜んでいた。

 

ところが日曜日、肺炎になった。朝の時点で炎症の数値が17。ついでに足の点滴が潰れた。

でも息子は久しぶりにフリーになった右足を振り回していて、私たち夫婦も久しぶりにしっかり動く息子の足を見た。なんだ、元気そうでよかったと思っていた。

 

そして。

 

夕方16時ごろだったろうか、息子の着ていた服の脇あたりが血で濡れていた。

今日抜いたドレーンからかと思っていたら、切開したところから垂れていると分かり、先生と看護師さんが騒然となった。

血だけでなくドロっとしたものが出ており、膿も混じっている。

ただの出血ではないと当番の心臓血管外科の若手先生(前回手術の主治医、イケメン)が呼び出され(日曜日だというのに病院にいた)、最終ミルクから6時間空いた19:30を待ってCTを撮ることになった。

 

CTが終わるのを待つ間に、執刀医の偉い先生も呼び出されていた…日曜日の夜、多大なご迷惑をおかけしました…。

 

 

 

CTの結果は、皮膚から骨を固定しているワイヤーのそば、つまり骨のあたりまで何かの菌に感染している可能性が高く、その下は開けてみないと分からない。

その感染箇所を1度手術をして全て削ぎ落とし、洗って消毒して帰ってくるとのことだった。

骨まで行っていたら、徹底的に菌を殺すため、抗菌薬を定期的に2ヶ月流し込まないといけない。その間ずっと入院。

そして、心臓や人工血管まで感染していた場合、明日以降緊急で人工血管の取り替え手術をすると。

 

 

聞いていてくらくらしてきた。

 

 

そして20:30に説明を受け、21時には出発、戻ってきたのは0時くらい。

無事に全てが終わって、侵襲範囲は皮膚から骨まで。胸骨の下に敷いてある筋膜シートより下はセーフだったって。

 

ああよかった。再手術じゃなくて。

でもクリスマスと年越しは病院で迎えることが確定した。

 

ちなみにこの話を聞いているあいだ、

クリスマスプレゼントいつあげよう、私の誕生日(1月)は家で過ごせるかな…たしか今年はカテの入院日で、夫からはすっかり忘れられてたな…しかし疲れてるイケメン(元主治医)って良いもんだな…と、疲労のあまり思考はたいへんぶっ飛んでいた。

そして急遽借りた病院の宿泊施設で私は倒れるように寝た。夫はちゃんとシャワー浴びて歯磨きしたらしい。偉い。

 

ちなみに元主治医は1時頃自宅へ帰っていった……おつかれさまでした………

 

 

 

息子は一日半呼吸器で過ごし、今日の夕方2度目の抜管を果たした。顔のマスクも、今晩か明日の午前中には取れそうと聞いて、少し安心している。

このまま良くなりますように。

 

肘の内側から入って鎖骨あたりまで続く点滴をしばらく入れっぱなしにして、抗菌剤はそこから入れるらしい。

あの、これって万歳とかずり這いとかよじ登ったりとかしても大丈夫なアレですかね。と、怖くてなかなか聞けずにいる。

眼科巡りの旅

 

生まれてから約2ヶ月、息子は病院を退院して家に帰ってきた。毎日一緒に生活するようになって、私は息子の左目がたまにぐぐーっと中に寄ることが気になっていた。

でも、乳児の一時的な斜視はありがちなんだとかで、4ヶ月の集団検診で見てもらった時も、一瞬だけ見て「そうは見えないけどね」とばっさり斬られてしまった。

6ヶ月まで気になったら眼科に行ったら?と言われるも、6ヶ月は息子の2回目の手術。

当時は在宅酸素もしていたのと、6ヶ月頃になると斜視が気にならなくなってきたため、保留にしていた。というか酸素でいっぱいいっぱいで、そこまで気が回らなかった、が正しい…。

 

でも、息子が10ヶ月になったあたりで、今度は外側に黒目が流れるのが気になってきた。

外出中、どこを見ているわけでもなくぼーっとしているとき、眠い時、ぐぐぐっと外側にズレていく。

その頃にカメラを買い換えたので、余計に息子の目線を気にするようになったというのも、気になった要因だと思う。

 

そんな時に10ヶ月検診があった。

詳細は以前に記事を書いたけれど、病院近くの小児眼科を紹介してもらった。

 

個人病院眼科初診

雰囲気の良い眼科だった。

夏休み中のキッズスペースは小学生でいっぱいだったため、息子は私に抱っこされていたけれど、眠くてぐずぐずしていた。

寝かせちゃおうかなーとうろうろしていたら、受付の方から「赤ちゃんの場合、詳しく診察するために目薬を打ってから昼寝をさせてくださいとお願いすることがあるので、出来れば診察前に寝かせない方が良いかも」とお話があった。

こういうのはとても助かる。

あとから言われても、一回起こされた息子はもう意地でも寝ない。

 

しばらく待って、視力検査があった。

右目は順調だったが、左目、正しくは右目を隠されると激しく暴れた。

先生が上手にやってくれるからとのことで、とりあえず保留にしてもらって、診察へ。

 

普段はあまり気にならないが、ぼーっとしているとき、眠いときに黒目が外に寄ること

4ヶ月頃までは内側だったが、この頃は外側であること

を伝えると、

 

確かに、今はあまり気にならない(緊張で覚醒してた)。ぼーっとしてるときだけ出てくる斜視があるから、それではないかと思う。

1日のうち、半分以上が正常であれば、とりあえず視力や視野には影響を受けず、手術適応にもならない。治療もない。

それよりも、目を見せてもらうと左目が明らかに白っぽい。視神経に萎縮があると思う。今のところ視力の差はあまり無いように見えるが、また2週間後に来てもらって、その時詳しく見たいと思う。

視力に差がある場合、良い方の目を隠すと嫌がる。右目を隠してどう反応するか見て欲しい。

また、斜視の場合はフラッシュを炊いて写真を撮った時、黒目の真ん中がズレて写るから、試しにやってみて欲しい。

 

 

ということで、よく分からないまま終了。

もう治療、手術という言葉に慣れすぎていて、逆に「治療法はない」という言葉にショックを受けた。

あと視神経萎縮ってなんだ?と呆然としていた。斜視だけじゃないの?どういうこと?

 

ちなみにフラッシュは、私のiphoneだとフラッシュ→撮影の時間が長すぎて全然だめだった。

 

 

あと右目を隠すと、視力検査の時と同じく、ものすごく嫌がった。

そして私は『視神経萎縮』について検索し、たくさんのページを見ては、視神経は回復しないという記述を何度も見ては絶望を深めていた。

どうしてもっと早く見つけてあげられなかったんだろう。もっと早く、眼科を自分で見つけていけば良かったのに。7-8ヶ月検診を、退院直後を言い訳にサボらなければ良かったんだろうか。

 

個人病院眼科(2回目)

今回は瞳孔を開いたままにする目薬をさしてお昼寝させてください、とお話があったので、目薬3回もさされて激おこの息子を宥め宥めてなんとか寝かせた。

お昼寝用の小部屋があって、真っ暗な中に小さな灯り。母の方が寝たかったよ…リラックス…(ギャン泣きする息子を抱えながら)

朝寝させずに来てよかった…。

息子をどうにかこうにか寝かせたあと、先生を呼ぶと、目をそっと開いて何か機械で測定しているようだった。

すぐに結果は出て「もう起こして良いよ」と言ってもらったものの、そんな短時間で起こされた息子は相当不機嫌だった。

でも、先生の診察室は部屋を暗くすると、花火があがり、ベイマックスが褒めてくれ、ラプンツェルが喋る。どうにかこうにか落ち着いたところで、説明が始まった。

検査では色んな数値が出ていたが、右目は0.5から1に収まっている中、左目は2.5から3.5。普通じゃないことはパッと見でもわかった。

とりあえず遠視と乱視が強いこと、でも今はまだ発達途上だから、これからどうなるか分からないこと、眼鏡で矯正できる部分もある(どうしようもない部分もある)ことは説明があった。

改めてしっかり見ても、左目は明らかに白が強く、まずは「視神経に出来た腫瘍によって圧迫されている状態なのかどうか」を判別するために、頭部のMRIを撮るよう勧められた。

もしそこに腫瘍があるなら、心臓の手術よりも先にそっちの手術を受けなければいけないと言われ、正直どうして良いか分からなかった。

 

何しろ、その時点で8月末。既に先週カテーテル検査を終え、「肺の状況を考えると、出来るだけ早く手術した方が良いから、術前説明とリスト入りを早めます」と言われたばかりだった。とにかく早くMRIを、と言われ、完全にパニック。

しかも、息子が通っている県外の病院には眼科がない。

仕方ないので、緊急搬送先になっている、2回しか行ったことのない大学病院宛に紹介状を書いてもらい、三日後に予約をとった。

 

予約をとったあと、仕事中の旦那に泣きながら電話をした。

心臓のことの方がよっぽどショッキングなことを言われているのに、新しいことが出てくるとまた泣いてしまう。

弱い母だけど、とりあえず前に進まねばならない。

病児の親はそんなことばかりだ。

 

大学病院初診

小児科の診察室前には大きなプレイスペースがあったが、こちらには当然ながら無い。

子どもはいなかった。

それもそのはずで、1時間半ほど待って呼ばれたところで、若い女性の医師に、「小児の眼科は月に1回しかありません」と言われた。

いやいや。

予約の時に「赤ちゃんなんですが」って言うたよ。「大丈夫ですよ!」って朗らかに言われたよ!!!

 

しかもその眼科医さん、寝てる息子に明るいライトを思いっきり当てて、びっくりして起きた息子の目をさらに照らす。泣き出す息子。

「見えませんね、とりあえず緊急性が無いかどうかだけ見ますね」

と言って、嫌がる息子をぐるぐる巻きに拘束する眼科医。泣きわめく息子。押さえつける看護師。外に出される母。

カルチャーショックだった。

泣かせぬよう丁寧に関わってくれる、かかりつけの病院全てに感謝した瞬間だった。

 

しかも、とりあえず腫瘍では無さそうだけど、来週の小児眼科でみてもらいましょうと言われて、余計にショックだった。

今回のこれは。意味があったんでしょうか。

しかも、「私毎回小児眼科の外来に入らせてもらってるんで」って言われた。

小児眼科もこんな感じなんでしょうか。

MRIについては「小児科の協力も必要ですのでうんぬんかんぬん」ということで、ぼかされて終わった。

まさかの収穫なし。メンタル抉られて帰宅。

つらい。

また泣いて電話した。

ごめんなさいほんとに。昼休みだったから許して。

 

 

大学病院小児眼科初診(?)

同じでした。拘束して目の中を覗く。

目薬3回が追加されたので、余計に息子は暴れて泣いた。

むりやり開かされて、赤くなった目の周りが痛々しくて、申し訳なかった。

 

結果は、

萎縮はあるが生まれつきのものに見える

少なくとも腫瘍は無いと思う

MRI撮っても良いけど治療法はないし、眼鏡矯正しても効果はない

左目の視力は今ほとんど見えていない。これから先、悪くなることはあっても良くなることはない

 

往復ビンタされてる気分でそれを聞き、せめてMRIのお願いだけでもして帰ろうと思ったが、

うちではMRIは撮れませんとのこと。

 

「小児科の助けが必要になりますし、順番待ちでいつになるか分からない。腫瘍じゃなさそうだし、心臓手術後にゆっくり考えてもらって、撮りたいなら大きなこども病院を紹介する」

 

ええ…(´・ω・`)

紹介状も今日は書けないから手術後に来て、と言われて、とりあえず帰る。

困った。とりあえず最初の眼科に行ってみよう。(ふりだしにもどる)

 

 

個人病院眼科(3回目)

謝られた。一歳すぎてたら何されたか覚えてるよねーって労われた。

ええ、歯科検診の歯磨き指導と、眼科の固定が相当嫌だったらしく、あれ以来歯ブラシのために仰向け固定するとギャン泣きです…_(:3 」∠)_

 

先生としては、念のためMRIを心臓手術前に受けて心配要素をなくしておいた方が良い、という意見は変わらず。MRIの画像さえあれば診てくれるとのことだったため、いつもお世話になっている病院の循環器外来で、MRIだけどうにかお願いしてみることにした。

 

 

子ども病院循環器外来

 いつもお世話になっております。

循環器主治医にお願いしたところ、どうにかNICUの枠をもらってねじ込んでみると言われて一安心。

循環器主治医はとても仕事が早い。

書類を頼めば10日程度で返ってくるし、忘れられることはない。実際その時も次の日に連絡があって、次週の予約を取ってくれていた。ありがとうございます。

 

朝イチの検査のため、前日夜からお泊まりし、次の日の昼には退院。

1番だと予定時間にズレが無くてとても助かる。今回も病棟看護師さんたちにはお世話になりました。

 

 

 

個人病院眼科(4回目)

眼科からデータが届いたとの連絡を受けて、とりあえず眼科へ。

朝電話したら、「まだ届いてないです」って言われて、「え、そんな、検査した日に送っときますって言ってたのに」と思ってたら、どうも郵便で届くものらしい。

アナログな世界だ…。

 

検査のあと何も言われなかったから大丈夫なんだろうとは思ってたけど、特に何もなかったと説明されてひと安心。 

見せてもらうと、確かに視神経は細かった。

これが生まれつきなのか、生まれてから何かが起こって、その末の焼け野原なのかは分からないんだそうだ。

 

これ以上のことはここでも出来ないため、県内で1番大きい子ども病院に紹介状を出してくれるとのこと。そこでは偉い先生が、再生医療の研究もしているらしい。

ついでにMRIデータももらえたので家で見れるようになった。動作確認がWindowsXPVista、7って書いてあった。古い病院はこれだから…。

 

 

現在

結局、1ヶ月走り回った結果、「腫瘍はなかった。この先はどうなるかわからない。」という結論で終わった。

でも、ひとまず安心して心臓手術に臨むことが出来る。それはよかったなと思う。除外診断はとても大事。

病院の規模、設備、経験、専門性、先生の専門性と、それぞれ違う診察をしてもらって、今回はいろんな学びがあった。

病院ごとに得意分野は違うし、設備も違うから出来ることも違う。

1つの病院で対応してくれなかった、たらい回しにされたという考え方もあるかもしれないけど、正直、息子のような眼の状態に1番詳しい先生に診てもらいたいので、行き着くところまで行きたいなと思った←

今回は「県内で1番大きいこども病院」にたどり着いた。少しでも改善方向に進みますように。お願いします。

 

その前にまずは根治手術の手術室に息子を送り届けないといけない。火曜日が終わって、来週の月曜日まであと少し。長くて短いあと少し…。

9月の外来 20190925

9月中に手術になると思うけど、一応入れておくねと言われた9月の外来でした。

 

13時の予約。いつも通り11時前に着いて計測、レントゲン、心電図をした後受付。

同じ時期に入院していた友達と偶然会ってお話してたら、まだ12時にもなってないのに名前を呼ばれてびっくり。時間が空いたから呼んでくれたらしい( ¨̮ )

良かった、一人でいたらお昼ご飯食べに行ってたよ。

 

サチュレーションは86。(前回87)

心電図もレントゲンも問題なし。

小児科で先週打ってもらったからシナジスもなし。

眼科の経過を説明して、MRI撮ってもらいたいことを伝えた。(こっちもまた纏めたいな…)

 

主治医は快くOKしてくれたけど、MRIの予約が簡単に取れなさそうだったために電話待ちに。

 

早めに終わってくれたから、友達と食堂でご飯食べて、息子のお洋服も買って帰ることが出来て幸せはっぴー( ¨̮ )