ある晴れた朝のこと

先天性の心疾患と内臓奇形をもつ息子のこと

息子が生まれてからの話①

《息子が生まれた日》

息子が生まれたのは、38週6日のこと。

夜中におしるしと不規則な陣痛が来て産院に電話。ひとまず入院し、朝になってから本格的な陣痛が来て、生まれたのはお昼だった。

 

とてもとても痛かったし、叫びすぎて助産師さんにうるさいって怒られたけど、安産だったと思う。

真ん丸な息子の頭を見て、助産師さんに「これは痛かったねえ…」って言われたから少し報われたかな。

でももし次があるとしたら、分娩台に上がる前から夫の付き添いができて、仰向けじゃなくて自分の楽な体勢でいきみ逃しが出来る病院で産みたいな、出来ることなら無痛にしようって心から思った。

陣痛すごい痛い。体勢を変えたら怒られるのは辛い。

 

生まれた息子は3400g近くて、元気に泣き、その時点では心雑音も無かった。動脈管がしっかり開いていたんだと思う。

新生児の息子はよく動き、意外に表情豊かで、思ったよりも大きく、とてもとても可愛かった。

正直、この後色々ありすぎて、平和な数日間の記憶がかなりうっすらしている。

でも泣くときも2声泣くと寝てしまい、授乳も数口吸うと寝てしまうから、起こしておくのが大変だったのは覚えている。

これがのんびりやな性格なのか、心臓が辛くて体力が持たなかったのかは分からない。

 

《生まれた次の日と、その次の日》

息子はせっせと母乳を飲み、ミルクも一瞬で飲み干すので、生まれて三日目には既に出生体重まで戻っていた。

お見舞いに来てくださった方とも和やかに歓談し、私の会陰切開が痛くて座れない以外、助産師さんも先生も、誰も何も心配していなかった。

 

ただ、少し呼吸が荒いような気がしていた。

私も夫も小児喘息持ちだったので、もしかしたら呼吸器が弱いのかもしれないと心配したけど、助産師さんには「新生児はすぐ鼻が詰まるからそう見えるだけよ」と笑い飛ばされた。

見舞いに来た母からも「呼吸が荒くない?大丈夫なの?」と言われたけど、「私だって心配だけど助産師さんが大丈夫だって言うんだからどうしようも無いじゃん」と言うしかなかった。

当時のTwitter振り返ってみたら「なんの悪気もなく言ってるのは分かるけど、そっちが言う前から100倍心配してるし、それでも何もしてあげられないから100倍心苦しいんだあああ」って呟いてた笑

嫌な予感はしてたんだよね。

 

3日めから母子同室。

息子は明け方3時頃から覚醒し、病室の窓から2人で朝日を見た。

綺麗な朝焼けだった。思い出すと泣けてくる。

 

《退院前日》

全てが一変した。

朝、突然助産師さんから「わさびさん、先生からお話があるからすぐ診察室に来てください」と呼ばれ、診察室に行くと、「息子さんの心臓から雑音が聞こえます。サチュレーションも低いです。」と言われた。

 

え、呼吸器じゃなくて?

咄嗟にそんな事を考えていた。寝不足だったから、頭が働いてなかったのかも。

 

まだその時は先生も「生まれたらすぐ閉じるはずの血管が、閉じ損なって残ってるんじゃないかな。よくある事だよ。大きい病院の先生に来てもらって診てもらおう。」と楽観的だった。

 

でも救急車でやってきた少し大きな病院の先生の顔は渋く、「全体に心雑音が聞こえます。精密検査が必要なので、近くのNICUがある病院に搬送します」とだけ言って、息子は小さな持ち運び用の保育器?に入れられ、運ばれていった。

私は掠れた声で「おねがいします」と絞り出すことしか出来なかった。

 

「本当に大変な疾患だったら、もっと大きな病院に運ばれるけど、そこまではいかないと思うよ。息子くん大きいし、しっかり飲めるしね。心配し過ぎないでね。」

助産師さんや先生はそう言い続けていた。

私もそうであって欲しいと願っていた。

 

でも。

それから1時間ほど。

搬送先の病院からは「難しい疾患なので受け入れが難しい。大きな病院に搬送します」と連絡が来た。また、「診断名など、ご親族では伝えられないことがあるのでご両親揃って来てください」とも言われた。

さすがに助産師さんたちも表情が一変。

夫の会社に電話を入れ、すぐに来てもらうことになった。

突然元気を失った助産師さんたちが、搾乳の仕方を教えてくれた。ほんの少ししか出なかったのに、スポイトですくって冷凍保存してくれた、その優しさに泣けた。

 

夫とは新幹線で合流することになり、母に迎えに来てもらって産院を出て、病院に到着したのが昼過ぎ。

息子は30分ほど遅れて救急車で到着した。朝から何も飲んでいない息子は、保育器の中で哺乳瓶のニップルをもらって、意外にご機嫌に見えた。

でも一瞬で息子は自分の前をとおりすぎ、職員用エレベーターで上へ行ってしまった。

 

それから6時間。

家族待合室で、誰からも何も説明が無いまま、延々と待ち続けた。

今ならわかるけど、きっとその日、絶食して順番を待っていた誰かが検査の順番を譲ってくれたのだと思う。

感謝の言葉しかない。

 

家族からの「どうだった?大丈夫?」というLINEは何度も届き、産院からは「どうでした?」と電話が来た。

私はろくに会話もできず、延々と泣いていた。夫も泣きたかっただろうけど、私の背中をひたすらに撫でてくれていた。

 

私は昔から、これからの見通しが立たないと不安になる性格だったけれど、今回はその極みだった。

息子の病気はどんなものなのか、手術しないといけないのか、予後は、他の病院で手に負えないなんてどんな病気なのか。

いつまで待てば良いのか、誰が説明してくれるのか、このまま手術になるのだろうか、気づくのが遅くて重症になっているんじゃないか。

 

この先どうなっちゃうんだろう。

 

この子は生きられるんだろうか。