息子が生まれてからの話③
《入院~1ヶ月》
入院から2週間が過ぎると、私の母は仕事に戻り、私ひとりで車の運転をするようになった。
1人になると周りのご家族や看護師さんと話をする機会が増え、同じ病室の人とも仲良くなることができた。これは本当に力になった。
とはいえ、先天性疾患をもつ子を持った親は、本当に「安静」という言葉に縁がないと思う。
息子と会っている時間が1番安らぐので、全く大変だとは思わなかったけれど、今思うと産後すぐとは思えない生活だったなあ。
息子は浮腫対策のため水分制限があり、かなりお怒りだった。
お腹がすいて怒っているところに主治医が通りかかり、あまりの怒り様に1度水分制限を解除してもらったものの、今度は飲みすぎて弁逆流が増えたので、すぐに制限が掛かってしまった。
けれど量は結構早いペースで増やしてもらえた。主治医の先生優しい。
《BTシャント術前日まで》
息子が1ヶ月目前、主治医の先生から「手術の待機リストに入れます」との連絡があった。
息子は点滴で動脈管が閉じないように管理されていたため、手術をしないと家には帰れない状態だった。
だから優先順位は高めだし、2ヶ月を過ぎた頃には手術になると思うとのことだった。
目標体重は4.5kg。息子は3.8kg前後。
ゆっくりやっていきましょうと言われた…のだが。
あっという間にその日はやってきた。
その一週間後の木曜日。主治医の先生が慌ててやって来て、「決まりました、来週の火曜日です」。
目が点だった。
いや出来れば早く家に帰りたいとは思っていたけど。
「手術がキャンセルになって空きがでたんです。ここで手術しなければ次は来月まで空きがありません。手術後は1ヶ月から2ヶ月入院します。年越しはおうちで過ごしましょう。」
そう言われたら即決しかなかった。
夫に電話をし、両親、義両親に日程を伝え、小さな身体での手術に不安を抱えながら、でも「家で過ごしましょう」という言葉は嬉しかった。
金曜日は纏めて術前検査をやったために、息子は絶飲食でたいへん機嫌が悪かった。朝から飲まず食わずで、終わったのは16時。
よく頑張ったよ、ほんとに。
土曜、日曜、月曜は夫も来て穏やかに過ごした。
土曜日から抗菌剤と鼻の軟膏が始まり、息子は何かを察したのかぐんぐん体重が増え、手術当日には4.55kgになっていた。まさかの目標体重突破。
その割に浮腫はひどくなかったようで、主治医の先生にはたくさん褒めてもらった。良かったね、息子。
私は土曜から当日に掛けて病棟に宿泊し、初めての付き添いをした。
個室が空いていなくて大部屋だったけど、看護師さん達が気をつかってくれて、他に人がいない大部屋に入れてくれて実質個室みたいなものだったのはありがたかった。
でも息子の入院している病棟は付き添いが想定されていないためか、別棟まで行かないとお湯も電子レンジも無くて何とも不便だった。
しかもその時何故かお湯が出なかった。(というか、私が外来に行ってお湯を使おうとすると、3-4回に1回は壊れているか調整をしている。ミルク用のお湯を持って行こうかいつも悩む。)
手術前日は、何かあったらもう見られないかもしれないと思って、母乳を飲んでる息子の写真を撮った。
退院後1ヶ月で母乳拒否からの、2ヶ月で完全ミルクになったので、この時撮っておいて良かったなと心底思う。
《前日説明》
外科の先生と初めてお会いした。
今回の手術では、動脈管を取ってしまい、閉鎖している肺動脈の代わりになる人工血管を入れる。その太さは当日開けてみて決めるとのことだった。
ついでに、肺に繋がる血管が片方だけくびれ、狭窄しているのでそこを切り取って上手いこと繋げるとのことだった。
他にも
*全身麻酔をすること
*輸血をすること
*心停止をして人工心肺を使うこと
*たくさんのリスク
*生命リスクは3%。普通の子なら1%だが、多脾の子だとリスクが上がると説明を受けた。
既に2万人に1人=0.02%を引いている私、100人に3人と聞いて(え…確率高くない…?)と思ってしまう( ˊᵕˋ ;)
*心肥大があったり、心臓の動き次第では胸を開けたまま戻ってくるかもしれない(二期的閉胸)
たくさんしんどいことを聞いたけど、先生からは「このリスクは我々としてはあまり想定してないです」「ありそうなのはこの辺」と心配しなくても良いところと、心配した方が良いところを説明してくれるのがとてもありがたかった。
先生の他にも、手術室の看護師さん、集中治療室の看護師さん、麻酔科の先生など入れ代わり立ち代わり説明を受け、前日説明は終わった。
そんな状態でも息子は変わらずにいてくれるので、恐怖はありながらも、ゆったり過ごすことができたと思う。
子どもの力は凄い。