ある晴れた朝のこと

先天性の心疾患と内臓奇形をもつ息子のこと

息子が生まれてからの話 おしまい

《BTシャント術》

 

朝、息子は手術室へと入っていった。

お腹がすいていたので、ニップルをちゅっちゅしながらの入室だった。

 

この1ヶ月の水分制限中、息子は体にタオルをぐるぐる巻いてもらって、延々とニップルを吸って機嫌を整えていた。

(とは言え、看護師さんから「息子くんはお腹すいた時の泣き声が凄まじいよね…」と言われたことがあるので、整っていなかったのかもしれないけれども…)

 

循環器病棟は「ほぼ全員、長泣きさせちゃいけない子」だからか、看護師さんたちの泣かせない技術が凄い。

新生児ちゃん達には手早くタオルを巻いてニップルをうまいこと固定していたし、ほとんどの看護師さんが、子供をバギーか車椅子かコットで連れて歩いていた。

水分制限の子は、なるべく小さい乳首を使ってミルクを飲ませ、満足感が出るようにするんだとか。

看護師さんとは大変な仕事だなと思う。いつもありがとうございます。

 

脱線したけれど、手術室に入ってから8時間。

読もうと思った本は手付かず、手を動かして気を紛らわそうと思って持ってきたスクラッチアートにも触れないまま、長い長い時間が過ぎた。

 

待合室では、手術待ちの家族が他にも何組もいる中、全員がいなくなる頃にやっと終わった。

一度終わる前に医師から説明があると聞いていたが結局無いまま、「無事に終わりました、集中治療室に降りてきてもらえますか」という連絡を受けた。

 

ブログなどで写真を見たことがあったので、術後の息子の姿には案外ショックを受けずに受け入れることが出来た。

呼吸器、チューブ、輸血、強心剤、鎮静剤、輸液、ドレーン…たくさんの管に囲まれた息子。

それでも手に触れると温かくて、やっと息子が生きていると実感出来た。

 

でも、正中切開の傷を見てから、「もっと綺麗な胸の写真を撮ってあげたら良かったな」とは思った。

息子の身体に触るのもこわごわだった私は、裸の胸の写真などほとんど撮っておらず、昔の写真からは、息子の可愛さよりも親の怯えが見える。後悔。

 

 

《その後の経過》

 

息子は10日間集中治療室にいた。 

 

手術の次の日から、両親、義両親宛に経過を送っていたので、簡単に載せてみる。

 

 手術翌日

輸血がひとまず一本と、筋弛緩剤が無くなる。
尿も明け方頃から出始め、昨日高かった血圧と熱も落ち着いて来た。

まだ肺が浮腫んでいるのにサチュレーションが高めだから、もし今後肺血流量が多すぎる場合は再開胸してクリップ留めをする可能性もあるとの話を受けるが、それ以外は概ね順調。

 

 術後2日

ミルク10ccを経鼻で開始。尿も順調。ドレーンの出血も、だいぶ黄色に。
自発呼吸も始まり、もぞもぞ動く。痰吸引の時には少し声も出ていた。
再開胸するかどうかは、経口でのミルクが始まってからでないとわからないとのことで、当分様子見。

 

術後3日

全体的にはとても安定していて、ここから急変して大崩れという可能性は薄そうとの話があってひと安心。
今のところ弁逆流も増えておらず、弁の形は良くないものの逆流しやすい形態では無さそうとのこと。
眠る薬を少しずつ減らし、それ以外は現状維持。

 

術後4日

特に薬などは変わりなし。呼吸器抜くのは週明けじゃないかと看護師さんから話がある。
ミルク20ccを消化しきれたり、しきれなかったり、という状態。

食道、直腸、足の裏に入れていた体温計が抜けて、口がフリーに。

 

術後5日

ドレーンが抜ける。

ミルク量が30ccに増えたので、輸液が無くなり、消化も順調。

動くようになってきたせいか、痰の量が増えていて、吸引が頻回になって心苦しい。無気肺の傾向があるとのことで、サチュレーションが下がり気味。呼吸器のサポートを上げる。

 

術後6日

胸の傷のところに貼ってあったテープが無くなる。
肺の浮腫みが取れたら抜管との話がある。
呼吸器の刺激で寝られず、終始苦しげ。

(息子の痰が絡み、顔を赤くしてアラームが鳴っているのに看護師さんがいつまでも戻って来ず、隣の看護師さんが無言でアラームを消していって悲しくなった日。結局サチュレーション70まで下がったところで走ってきてくれた。息子は比較的落ち着いているせいか、割と大変な状態の子と掛け持ちで受け持たれることが多い。仕方ないとは言え、30分担当看護師さん不在はさすがにどうかと思った。)

 

術後7日

肺の浮腫みは執刀医としては「大したことない」んだそうで、明日抜管予定。ミルクは40cc。
人工呼吸器の値も、濃度は据え置きで補助回数を減らした。
起きていると首を振って首の点滴周りを出血させ、咳き込みもあり、痰吸引も看護師さんが抑えるのも大変なくらい力強く嫌がるため、薬で寝ていた方が全体的に良さそうな感じ。

私も穏やかな寝姿を見て少しほっとする。

 

術後8日

抜管して代わりにネーザルハイフローがつく。

酸素濃度を下げてもサチュレーションの値は90台。
抜管の都合朝から断食→昼鼻の管から10cc開始。喉のゴロゴロが落ち着いたら経口の予定。
痰はまだ出ているが自分で咳をして落ち着くことも出来るように。

病棟にあるメリーを置いてもらうと、目で追う。楽しそう。

 

術後9日

首の点滴が抜け、代わりに足に1つ点滴が増えた。今は右手から輸液、左足から鎮静剤が入っていて、左手は採血用、血圧管理用のルートという構成。
肺も良好。

相変わらず血圧高めだが、低くするメリットも無いのだそうで据え置き。血圧を低くする薬を入れると腎臓の働きを弱めてしまうから、そのままで良いんだとか。
息子は病院に入った時から腎臓の数値が少し高いそうだ。初めて聞いた。とはいえ、現状尿も問題なく、何か対処が必要な状況では無いらしく。

ニップルも上手に吸えるようになり、経口摂取も始めていくことに。

 

術後10日

普通の酸素吸入器になる。

血圧管理も無くなり左手フリー。点滴が減ったため抱っこ解禁!

経口も50ccを一瞬で飲み干して順調。

この日一般病棟に戻ることができた。

相変わらずお腹空くとぐずぐずなので、看護師さんに綺麗にぐるぐる巻いてもらう。

 

術後11日

鼻の管が抜け、完全経口に。

点滴も腕から鎖骨まで通ったルートと、足を残して、薬は服薬のみ。

ミルク60ccから増えず不機嫌全開。

 

術後12日

検査用に足のルートだけ残し、両手フリーに。

手術前からずっと点滴だったからすごい垢だった…。直ぐにお風呂入れさせてもらった。笑

ミルク量もフリーになり、圧倒的ご機嫌。

エコー検査実施。

 

術後13日

体重がやっと増加傾向に。

一般病棟の看護師さんから「顔立ちが少しお兄さんになったね」と言われ、ミルクもたくさん飲めてご機嫌継続中。でもチクロピジンに毎回大泣き(*꒦ິ⌓꒦ີ)

退院前検査を纏めてきょうやるから、その後いつでも退院して良いと言われて戸惑う←

 

術後14日

退院前面談。

ミルク量は1回90から100と、順調に増加中。

*今回の手術で使った人工血管は、動脈管に代わる部分のみ。肺動脈の狭窄している所は、狭くなっているところを切除してそのまま自分の血管を繋げた形。
*術後の経過は順調。左右の肺に同じくらいの血流が流れている。
*次の手術は6ヶ月から1歳の見込み。細かい時期は、循環器科と相談。

*母乳再開許可

*冬目前だし、2回目の手術が終わるまでは血管が詰まって急変することがあるから、病院に行けるところにいてね!(長期里帰り確定の瞬間)

 

術後16日

付き添いをして、退院後の生活をイメージする、というテーマで、個室に宿泊。

家で使う哺乳瓶を持ってきても良いよ、と言ってもらえたので、今まで搾乳にしか使っていなかった哺乳瓶とミルトンセット、初めて使う乳首をいそいそと出して持ってきた。

この日初めて、息子は母乳実感しか受け付けないことを知りまし、た…(にこにこで1回も吸わなかった、まじか)

 

術後17日

退院!

2ヶ月を間近にして、息子、初めての外気!

産院を退院する時用に買っていたロンパース、着られなくなる前に着ることが出来て本当に良かった。

病院でお風呂に入れて、ミルクを飲んでからの出発だったので、息子はウトウトしながらの移動。

車の中で目が覚めた時、すごい、ハッ!!ヾ(*ㅿ*๑)ノて顔をしていて可愛かったなあ。とても綺麗に晴れていて、穏やかな日だった。

 

実家に帰ってきたら早速おしっこが漏れていて、一張羅は早速お洗濯になりました。

 

帰ってきた日の息子 。ちんまり………f:id:kei0w0:20190522091555j:image

 

 

《それから》

 

息子が帰ってきたすぐ後、以前から闘病していた親戚が旅立ち、両親が飛行機の距離の地へ行ってしまったため、帰宅3日にして突然のワンオペになり、精神を病みに病んだ平日を過ごしたこともあった。

4ヵ月検診に行っておいで!!!と主治医に送り出してもらい、酸素着用で保健所に行ったこともあった。(何かあった時用に紹介状をもらっていたので、ついでにそのまま次の外来まで自宅にいた…(❁´ω`❁))

 

色んなことがあり、息子が初めて帰って来てからもう半年になる。2回目の手術も無事に終わり、在宅酸素も卒業することができた。

緊急入院も無く、緊急手術も無く、穏やかな生活をしていると思う。

 

それでも、周りの健常なお子さんを見てもやもやすることや、友達の子の順調な発達に落ち込むことも多々ある。

FBやインスタの「無事に出産しました、母子ともに元気です」という定型文が地雷になってしまい、友達とのSNS上での繋がりは、心の体調次第という感じになりつつあるし…。

 

でも、生まれてすぐの恐怖感は和らいだと思う。

頼ることの出来る主治医がいて、繋がる楽しさを教えてくれたTwitterの皆さんがいて、連絡を取り合う入院仲間が出来て、支えてくれる家族がいて、あとは障害のある息子と生きるということに少し慣れたということも大きい。

 

痛い思いばっかりさせてる、お腹の中に帰してあげたい、そうすれば動脈管だけで元気に生きていけるのに、と手術前は何度思ったか分からない。

それでも、退院して、ぐんぐん成長している息子を見ると、外に出てきてくれてありがとう、案外息子にとっても悪いことばかりじゃないかも、と思えるようになってきた。

 

出来ることなら、入院してすぐの頃に戻って、あの頃の自分の隣に座って、息子ほんとに可愛いねえ、頑張って産んで良かったよね、これからたくさん楽しいことしようねって言いながら、たくさん2人で泣いて、落ち着いたら2人でたくさん息子の可愛い写真を撮ってあげたい。

あの時の自分よく頑張ったね。息子、切迫流産の時に流れずに、ここまで大きくなってくれて本当にありがとう。

今はもう布団にすら収まってくれない君がとても愛しい。笑

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ここまで書いて、やっと息子が生まれた頃の気持ちが少し成仏した気がする。

 

取り留めもない文章になってしまったけど、まあ良いか、自分用のブログだものね。

 

それでは。おしまい。